

02
難しい住宅ばかりつくる職人集団
――
構造設計事務所に3年半勤められて、それから大原工務所を継がれるわけですか。
大原
結果的にそうなりましたが、構造事務所を辞めた直接の理由は、父の体調が急に悪くなったことでした。
――
現場にスーツで行かれていたお父様の。
大原
いまでいう、若年性のアルツハイマーを発症したんです。
当時は「初老期痴呆症」という呼び名だったでしょうか。
それが、50代で発症しました。
その少し前から、どうも調子が悪いというので、いろいろな病院で診てもらっていたのですが、精密検査を受けて最終的に判明しました。
お医者さんには、「この病気は治る見込みがありません、おそらく進行はものすごく早いです」と言われて。
しだいに脳が萎縮して、人間としてできることがどんどんなくなっていくんです、とも言われました。
記憶もなくなっていく。
食べることすらできなくなる。
そういう病気でした。

――
50代で、というのがご本人にもご家族にも、余計つらいですね。
大原
「じゃあ、私が戻って大原工務所に入るよ」と。
――
それで、跡を継がれた。
大原
そういうかたちです。
それまでは、倉庫やガソリンスタンドがメインの工務店でしたが、私が入ってからは設計事務所と一緒に住宅をつくるような仕事が自然と増えていきました。
そんな感じで数十年やってきて今に至る、という感じですね。
施工の難しい「特殊な」住宅
――
倉庫から住宅へ、というのは、大原さんが戸建住宅の施工に関心がおありだったからですか?
大原
それもありますが、住宅の施工が増えていった主な理由は、私がお世話になった構造設計事務所のおかげなんです。
いまお話したような事情で私が大原工務所を継ぐと決めると、事務所の所長に、「じゃあ、うちに来た小さな仕事(住宅)は、そのまま大原くんの会社で工事をやりなよ」と言っていただいて。
それから、住宅の仕事をどんどん紹介されるようになっていきました。
――
いわゆる、「アトリエ事務所」が設計する住宅ですよね。
大原
そうですね。
――
これをお読みの一般の人は、「設計事務所の仕事」をどのようにイメージされているか分からないので、ここで簡単に説明しておきますが、設計事務所のなかには所長の作家性が強く反映された、作品性の強い建築をつくる「アトリエ事務所」というカテゴリーがあります。
大原さんが修業されていた構造設計事務所は、そういうアトリエ事務所から構造設計を依頼される会社ですから、住宅の工事といっても「普通」の住宅は1軒もありません。
非常に先鋭的な、ひょっとすると、なにかの建築賞を受賞するかもしれない、その時代を代表するような住宅ばかりです。
大原
だから、建物の形状も単なる箱型は少なくて、丸だったり三角だったり、特殊なケースがたくさんありました。
(大原工務所の事例集を示しながら)
これが、私が大原工務所に入って最初に手がけた木造住宅です。

――
1976年とありますね。
大原
形状はシンプルな四角形ですが、木造住宅なのにデッキプレートを使ってつくられました。
デッキプレートを使う工事なんて、当然、大工さんだけではできませんから、このときは金物屋さんと一緒になってやりました。
次のこれは鉄骨造で、立体トラスを組んだ住宅です。
大きなフレームどうしをつなげる大胆な設計でした。

――
ほら、普通の住宅は1軒もない(笑)。
大原
そうですね。
特殊な、施工が難しい住宅ばかりでしたから、何年かすると、それまでお付き合いのなかった設計事務所からも、「こんな住宅つくれます?」と依頼されるようになってきました。
――
業界内に、「大原工務所なら難しい工事もできるはず」という口コミが広がったのでしょう。
大原
そうかもしれません。
――
でも、それまでは倉庫やガソリンスタンドですよね。
アトリエ事務所から依頼される施工の難しい住宅ともなれば、職人さんの技術の方向性も違うでしょうし、彼らに図面を読み込む力も必要になってきます。
それだけの技術をもった人材を、新たに募集されたのですか?
大原
とくに意識して集めたわけではありません。
なんとなく、自然に集まってきたという感じです。
ほかの工務店に所属している大工さんがデキル人だったら、その人に応援を頼んでみるとか。
人材の確保は、いろいろなかたちで行ってきました。
いずれにしろ、特殊な住宅の施工ができるだけの技術をもった職人は、昔も今もそんなにいるわけではありません。
いまだに人手不足といっていいかもしれません。

職人の技術力を上げる工務店のネットワーク
――
現在の大原工務所は、どのような組織、体制なのでしょうか?
大原
1つの住宅を完成させるために必要な職人は、ひととおり揃っています。
ただ、全員が1つの住宅にかかりきりになると、ほかの仕事ができなくなって経営的にはあまりよい状態といえません。
「そのあたりが今後の課題だな」と、住宅の仕事が中心になり始めてから、ずっとそればかり考えていたのですが、あるときこの問題を解決するよい方法を思いついたんです。
――
それ、ぜひ知りたいです。
大原
きっかけは、7棟分まとめて建てるコーポラティブハウスの仕事でした。
これを当社だけで請け負うのは作業量的に不可能です。でも、複数の会社と組んでやれば出来なくはない。
そこで、当社より少し規模の大きな工務店を経営している友人に、「こういう話が来ているのだけど、一緒にやりませんか」と提案したら、「面白そうだね」と。
話はとんとん拍子に進んで、うちの大工チームと友人の会社の大工チームが組んで合同で作業したんです。
これが、非常にうまくいきました。
と同時に、
当社のやり方を理解してくれる会社となら、1つの仕事を複数の会社でやれると分かったんです。
つまり、大原とA社、大原とB社、大原とC社というように、同時に3件分の仕事ができるようになった。
さらに、大原だけでやる仕事がもう1件。
こうすれば、全部で4件の仕事が同時に動かせます。

――
なるほど。
大原工務所クラスの技術力をもった工務店とネットワークをつくられたわけですね。
工事は施工の難しい特殊な住宅ばかりでしょうから、一緒に仕事をされた職人さんはそこで腕が揉まれて、ネットワーク全体の技術力もアップしますね。
大原
そうなんです。
その点は、友人にも感謝されました。
「大原のところの仕事は難しいけど、職人はいい勉強になる」って。
――
そのネットワークは、いま何社で回しているのですか。
大原
5社です。
――
では、その5社に属する職人さんは相当腕の良い人たちばかり?
大原
かなり良い職人たちだと思います。
そう言えるだけ、難しい物件をたくさんこなしてきましたからね。
職人だけでなく、現場監督もそうです。
場合によっては、当社が請けた仕事の現場に同じネットワークに属する他社の現場監督を配置することもあります。
それは建て主さんにも事前に説明していて、「現場監督は大原工務所の監督ではなく、○○工務店の監督が来ます」なんて話をよくしています。
いまは、現場ごとに当社と他社の職人がチームを組んで作業にあたることが珍しくなくなりました。
(つづく)2016-7-7